ファミリーヒストリー
長い夏休み後半は、夫の実家があるラップランドはロヴァニエミへ帰省した。
今回の帰省では、さらに北上したノルウェイとの国境付近の町にある、ひいおじいちゃんの所有するサマーコテージへ階段をつけるために、夫や義父も駆り出されて作業が始まり、冬馬も男同士の世界に入りたがり、皆の間をチョロチョロ動き回って、仲間に入った気分になっていた。
それにしても、ひいおじいちゃん御年92歳。最近はかなり足腰が弱って来てはいるものの、ロヴァニエミから車で片道3時間はかかるエノンテキオのコテージに、自分で運転して通っているというから驚く。
男達が作業している間、私と義母、義祖母(ひいおばあちゃん)は、誰からともなく編み物をしようという事になり、いろいろ教えてもらった。
レース編みが得意な、ひいおばあちゃんから何枚もランナーなどを貰ったことはあっても、義母が編み物などをしている所は今迄見たことがなかったので、てっきりそういう事には興味がないのかと思っていたら、目にも止まらぬ早さで鍋つかみ1枚あっと言う間に編み上げていて、昔はよく義妹と教室にも通っていたという。
その後は、冬馬の着替えがないと聞くと、着なくなった自分のTシャツを型紙もなくサッと切ってミシン掛けして、これまたあっと言う間に小さなTシャツに作り替えてびっくり。
こういう光景を見ると、フィンランド人女性は編み物・裁縫などの手仕事は出来て当たり前なんだな…と感心する。
ことのほか今回の帰省では、義母や義祖母と女同士深い話をする時間があり、編み物しながら色々話す中で、今迄知らなかった新事実がいくつも飛び出してきた。
義母がアロマテラピーやホメオパシーのセラピストになる前は、英語教師をしていたのは知っていたけれど、スウェーデン語教師もしていたこと、他にもフランス語やドイツ語も日常会話程度なら話せるということを知って、なんというか、才能にあふれた人なのだった。
さらに、ひいおばあちゃんがロシア語を話せることは知っていたけれど、実は父がロシア人で、家では皆ロシア語で話していたため、国民学校(小学校)に入る迄フィンランド語が話せなかったという。
ラップランドでも極北のロシアの国境近くの村に生まれ育ち、第二次世界大戦後に村はロシア領となったため、ロヴァニエミまで逃げて来たこと。戦後何年も経ってから村を見に行ったら、知らないロシア人が自分達の家に住んでいたこと。話しながら、もう帰るに帰れない故郷の村を地図で指しながら涙ぐむ、ひいおばあちゃんの姿がせつなかった。
ひいおじいちゃんは、北方先住民族サーミの血をひいているし、ひいおばあちゃんはロシア人とのハーフ、ということは夫や冬馬にもその血がほんの少しでも流れているというわけで、さらに冬馬には日本人の血も流れているし、かなり色々な人種の血を受け継いでいる一族ということになる。
今まで私のフィンランド語が拙くて、混み入った話があまり出来なかったというのもあるけれど、夫の家族には様々な歴史があることを知ったのだった。
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