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マメの旅立ち

1月6日午前0時過ぎ、マメが旅立ちました。
17歳8ヶ月の猫生でした。
東京で一人と一匹で暮していた頃からフィンランドへ移住し家族をもってからも、相棒として時には母や姉のようにずっと側に寄り添い支えてくれて、私にとってかけがえのない特別な存在でした。

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昨年11月に腎不全と診断されたものの小康状態を保っていたのが、クリスマス以降急速に病状が進み、年末にはもって数日だろうと余命宣告され、最期は必ず家で看取ろうと決めました。
タイミング悪くちょうど同じ頃、夫の祖母の病状も芳しくなく、年明けに後ろ髪をひかれながらも夫と冬馬だけロヴァニエミへ5日間帰省し、思いがけずマメと二人っきりで過ごすことになった最後の時間。
毎日いっぱい撫でて言葉をかけ、その間もどんどんマメは衰えてゆき、最後の3日間はとうとう歩けなくなったけれど、そんな体になっても私が横になっていると這って側に来て、ピッタリと体をくっつけて眠る姿がいじらしく愛おしかった。まるで離れがたいとでもいうかのように…。

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亡くなる数日前のマメの瞳は、水を湛えたように潤んで不思議に澄んだ色をしていて、ああ、もうすぐ逝ってしまうのだな…と予感し寂しくて仕方なかった。
別れが辛く毎日泣きながら、自宅で輸液の皮下点滴、自力で歩けなくなってからは毎回抱っこしてトイレへ連れてゆき最後はベッドにシートを敷いて寝かせたままさせていたけれど、毎回出るとシッポでぱしぱしと私を叩いて知らせてくれる賢い子でした。

亡くなる1週間前からマメは自分からは食べたり水を飲むことさえ一切拒否していたのに、尿毒症が怖くてシリンジで水やご飯を無理にでも与え続けてしまったことは今でも悔やまれる。
延命する気はなく、緩和ケアや看取りについてもさんざん考えたものの、投薬を全てやめてしまう決心はできず、輸液の皮下点滴についてもいつまで続けるか悩んだけれど、脱水しているのを目の前にするとやめることが出来なかった。マメは逝く準備をしていたのに、結果的には苦しませてしまったかもしれない…。
徐々に弱り衰えてゆく愛猫を前に、何もせず自然にまかせ看取るということは、飼い主にも相当の覚悟がいると思う。
とはいえ家族に遠慮なく24時間片時も離れず思いきり看護できて、最期に濃密な時を過ごせてよかったとも思っている。

旅立つ数分前、しきりに鳴いて何か言いたそうな様子で、そのあと突然呼吸がおかしくなり、体全体がピンと突っ張ったように伸びて、まだ僅かに呼吸をしていたので、抱きしめてお別れの言葉を言うと、私の腕の中で静かになり息を引き取った。顔を覗くと優しく澄んだ瞳に戻っていて、穏やかな表情でした。
動物には死という概念はないと聞いたことがあるけれど、自分に起きていることをただ受け入れ、生きて死んでゆく姿は凛として健気だった。

マメを看取ったあと体を拭いてから撫でると、まるで今にも息を吹き返すのではと思うほど毛皮はしっとりツヤツヤしていて、肉球も柔らかで、何度も胸に耳を当てて心音を確認したけれど、亡骸だけがそこにあり、もうすでにマメの魂はそこに宿っていなかった。

今も家の中にはマメのいた気配が至る所に残っているのに、見渡してもマメの姿はなく、呆然と佇んでしまう。
これからは一人でも頑張っていきなさいよ、と言われているみたいだ。
マメは私と一緒にフィンランドへ来て幸せだっただろうか?
そう思ってくれていると嬉しいのだけど…。


マメ、大好きだよ。
17年間、ありがとう。

またいつか会える日まで。



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2020.01.27 | Comments(12) | マメのまめ部屋

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