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ちょうど節分の少し前に、日本から届いた絵本を、夜ねむる前に冬馬へ読んでいた。
節分と鬼という、日本独特の行事や郷土信仰を説明するのはむずかしくて、タイミングよく日本語補習校の体験授業で、節分の豆まきの話や、鬼のパンツの歌を歌ったりしたので、なんとなく冬馬も雰囲気はつかんだかもしれない。
あまんきみこさん作の「おにたのぼうし」は、いわさきちひろさんの挿絵にひかれたのもあり、取り寄せたのだけれど、毎晩読んで聞かせるうちに、私の方が感じることが多かった。
( にんげんって おかしいな。おには わるいって、
きめているんだから。 おににも、 いろいろ あるのにな。
にんげんも、 いろいろ いるみたいに。)
"おに"の部分を、今起きている事象に置き換えてみると、世界の構造を象徴するかのようで、その言葉が何度読んでもじわじわと胸に突き刺さる。この世界で起きていることは、表面に出ている部分だけでは分からないことが、本当はたくさんあるのに。
鬼は悪、怖い、災厄をもたらす存在の元、おにたは、絶望と悲しみで、最後は黒い豆になってしまう。
そうとは知らない女の子は、(さっきの こは、 きっと かみさまだわ。)と言って、静かに豆をまく。
そっと物語に寄り添うかのような、いわさきちひろさんの挿絵は、儚く淡いタッチが情緒的で、さらに切なさが増す。
こどもの絵本は、とてもシンプルに世界の真理を教えてくれる。
冬馬も、この話が言わんとしていることを、いつか感じてくれたらいいなと思う。
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