新型コロナウィルスに見舞われてからというもの、世界中どこに居ようとも鑑賞出来るインスタやYouTubeのリアルタイムでのライブにすっかり夢中になってしまった。むしろ今だからこそ海外在住だと行けないコンサートを家に居ながらにして鑑賞できるなんて、気が滅入る日々の中で良かったと思える数少ない事だ。
そんな中で出会ったのが、藤井 風というアーティスト。
全くトンデモナイ才能が現れたものだ。
ぶっ飛んでるピアノテクニックもソウルフルなボーカルも作曲センスも、新人のレベルではない。
一度耳にしてからというもの、スルメを噛むように何度も何度も彼の曲やカバーを聴くのがやめられない(笑)。私のような症状のフォロワーが急速に増えてるらしい。
今年デビューしたばかりだけど、実は10年も前からYouTubeにクラシックやジャズ、洋楽から邦楽まで幅広いジャンルのピアノ演奏や弾き語りカバーを投稿していて、中学生の頃からすでにYouTuberだったという、まさに今の時代の若者。
彼の歌はR&Bをベースに今時のサウンドメイクもカッコ良く洋楽ファンも唸らせるがそれだけではない。ちょっと哀愁のあるメロディーはどこか懐かしい歌謡曲のようなものも根底に感じられ、たぶん年齢世代問わずに響くものがあると思う。
そして一見若者スラングと見せかけて深い意味合いのある歌詞にも感服してしまう。まだ23歳になったばかりの青年がいったいどんな人生経験を積んだらこんな詩を書けるのだろうか…。
さらに1年前に上京するまで地元岡山から一歩も出たことがなかったというけど、独学で英語までもペラペラなのである。
もう、ね、信じられないくらいの可能性を秘めている天才アーティストなのである。田舎から東京ではなく、いっきに世界へ羽ばたけそうな才能なのである。いや確実に世界レベルで活躍することになるだろう。
息子と言ってもいいくらいの世代の青年に、とにかく驚嘆しかない私。
そして、こんなに何でもそろっていて完璧なのに、喋るとたどたどしい岡山弁で一変して純朴な若者になるのがまたかわいらしい。
天体の配置では、200年も続いた土の時代が終わり、もうすぐ風の時代が来るらしいのだけど、名前も”風”だし、まさに変化の時代の風雲児になりそうなアーティストだ。
2020.08.12
| NO MUSIC, NO LIFE
世界中で猛威を振るう新型コロナウィルス。ここフィンランドも例外ではなく、人口550万程の小国でも感染者は日に日に増えていていて、3月の中旬から国境封鎖、現在まで学校は全校休校(保育園は除外)、医療従事者や警察関連などの職に就く保護者が面倒を見られない子供に限っては小1〜3年生までは登校可能。レストランやカフェなども閉まりテイクアウトやデリバリーのみ、リモートワークが推奨され、多くの家庭が家でひき篭る生活を送っている。
ヘルシンキ及び首都圏は3/27から3週間あまり続いたロックダウンが解除されたものの、個人的には正直まだ早いのではと感じている。引き続き不要不急な外出は避けるようにと要請は出ているものの、北欧の長い冬がやっと終わり春の光が差しこれから短い夏がやってくるこの季節に、外へ出かける人々は確実に増えてゆくと思う。現に今、街中を避けて森や水辺へ行く人々は増えている。
夕方に家のすぐ周りの海辺へ短い散歩に出ても、前からも後ろからもひっきりなしに人が歩いて来たりジョギングしたり、自転車で走り去ったりと、住宅地などは明らかに平時より逆に人が多い…。
1ヶ月前まで世界がこんな事態になるとは予想もしていなかったことだけれど、それまでの日常が日常でなくなる感覚には既視感がある。私の脳裏には震災後の故郷のことが浮かんでいた。目には見えないものに蝕まれてゆくのではないかという恐怖。
この国はこの世界はどうなってゆくのだろう…絶対に変わらない日常などないのだと、また改めて思い知らされる。

フィンランドでも国境封鎖の前あたりは一時的に買い占めがおこり、トイレットペーパーやハンドサニタイザーの他に食料品で人々が買いに走ったのは、ジャガイモ、冷凍ブルーベリーなどお国柄が出るような物も…。夫はさらに粉に走った。小麦粉、中力粉など、粉さえあればパンもお菓子も作れるということで。
それでも日々の生活は淡々としていて、買い物へ行く回数は週1に減らし、それも直接店には行かずにスーパーのオンラインサイトから購入し夫が車でピックアップするという事を続けている。
息子も夫もずっと家にいるため、焼いても焼いてもなくなるパンを作るため、オーブンとパン焼き機はフル稼働。1日3食みっちり作る気力はもたないので、私が担当するのは2食か1食だけれど、おやつも食べたいとねだられ常に家の中にはお菓子か料理を焼いたり煮たりする匂いが漂っている。
時間だけはたっぷりあるので、少し手間のかかるお菓子作りに挑戦したり、オンラインで好きなミュージシャンのライプを見たり、エクササイズ動画を一緒にやったり、世界中どこに住んでいても今やネットで同時に繋がっていろいろな事を見たり聞いたり出来るのはすごいなと思う。

学校のオンライン授業がある朝は時間通りに息子を起こすけれど、他はもう何時に寝て起きてもあまりうるさく言う気もなくなり、もはやほとんど曜日の感覚もなくなってきた…。
ずっと透明なシェルターの中で暮らしているような感覚だ。
2020.04.16
| 暮らし
1月6日午前0時過ぎ、マメが旅立ちました。
17歳8ヶ月の猫生でした。
東京で一人と一匹で暮していた頃からフィンランドへ移住し家族をもってからも、相棒として時には母や姉のようにずっと側に寄り添い支えてくれて、私にとってかけがえのない特別な存在でした。

昨年11月に腎不全と診断されたものの小康状態を保っていたのが、クリスマス以降急速に病状が進み、年末にはもって数日だろうと余命宣告され、最期は必ず家で看取ろうと決めました。
タイミング悪くちょうど同じ頃、夫の祖母の病状も芳しくなく、年明けに後ろ髪をひかれながらも夫と冬馬だけロヴァニエミへ5日間帰省し、思いがけずマメと二人っきりで過ごすことになった最後の時間。
毎日いっぱい撫でて言葉をかけ、その間もどんどんマメは衰えてゆき、最後の3日間はとうとう歩けなくなったけれど、そんな体になっても私が横になっていると這って側に来て、ピッタリと体をくっつけて眠る姿がいじらしく愛おしかった。まるで離れがたいとでもいうかのように…。

亡くなる数日前のマメの瞳は、水を湛えたように潤んで不思議に澄んだ色をしていて、ああ、もうすぐ逝ってしまうのだな…と予感し寂しくて仕方なかった。
別れが辛く毎日泣きながら、自宅で輸液の皮下点滴、自力で歩けなくなってからは毎回抱っこしてトイレへ連れてゆき最後はベッドにシートを敷いて寝かせたままさせていたけれど、毎回出るとシッポでぱしぱしと私を叩いて知らせてくれる賢い子でした。
亡くなる1週間前からマメは自分からは食べたり水を飲むことさえ一切拒否していたのに、尿毒症が怖くてシリンジで水やご飯を無理にでも与え続けてしまったことは今でも悔やまれる。
延命する気はなく、緩和ケアや看取りについてもさんざん考えたものの、投薬を全てやめてしまう決心はできず、輸液の皮下点滴についてもいつまで続けるか悩んだけれど、脱水しているのを目の前にするとやめることが出来なかった。マメは逝く準備をしていたのに、結果的には苦しませてしまったかもしれない…。
徐々に弱り衰えてゆく愛猫を前に、何もせず自然にまかせ看取るということは、飼い主にも相当の覚悟がいると思う。
とはいえ家族に遠慮なく24時間片時も離れず思いきり看護できて、最期に濃密な時を過ごせてよかったとも思っている。
旅立つ数分前、しきりに鳴いて何か言いたそうな様子で、そのあと突然呼吸がおかしくなり、体全体がピンと突っ張ったように伸びて、まだ僅かに呼吸をしていたので、抱きしめてお別れの言葉を言うと、私の腕の中で静かになり息を引き取った。顔を覗くと優しく澄んだ瞳に戻っていて、穏やかな表情でした。
動物には死という概念はないと聞いたことがあるけれど、自分に起きていることをただ受け入れ、生きて死んでゆく姿は凛として健気だった。
マメを看取ったあと体を拭いてから撫でると、まるで今にも息を吹き返すのではと思うほど毛皮はしっとりツヤツヤしていて、肉球も柔らかで、何度も胸に耳を当てて心音を確認したけれど、亡骸だけがそこにあり、もうすでにマメの魂はそこに宿っていなかった。
今も家の中にはマメのいた気配が至る所に残っているのに、見渡してもマメの姿はなく、呆然と佇んでしまう。
これからは一人でも頑張っていきなさいよ、と言われているみたいだ。
マメは私と一緒にフィンランドへ来て幸せだっただろうか?
そう思ってくれていると嬉しいのだけど…。
マメ、大好きだよ。
17年間、ありがとう。
またいつか会える日まで。
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2020.01.27
| Comments(16) | マメのまめ部屋
息子、ついに10歳になりました。
誕生日ケーキは、すっかり定番になった小豆クリーム入り抹茶ロールケーキ。なんだか年々渋くなってゆくような…。今年はフランス産栗のピューレ缶があったので、それをモンブラン風に絞ってみた。しかし、なぜいつも私が絞るとラーメンのようにぐちゃぐちゃになってしまうのか…。どうしても真っ直ぐきれいに絞れない。
小豆のストックが沢山あるので、餡子も自分で作った。横着して炊飯器で作るレシピを使うも、なかなか小豆が柔らかくならなくて何度も炊飯スイッチを押したので、鍋で作っても同じくらいの所用時間だったかも…。

今年の誕生日プレゼントは、少し前にそれまで使っていたスマホが壊れたので、同じアンドロイドのものをプレゼントする予定だったのに、突然iPhoneが欲しいと言い出した息子。こちらではiPhoneユーザーは少数派で、子供なのに新品を与えてもらうなんてかなり贅沢なこと。息子の友達で持っている子も親のお下がりがほとんど。
とうぜん私は反対したが、息子に甘い夫と祖父母、ひいおばあちゃんに義妹までもが皆で一緒に買ってあげるということになり、結局プレゼントされた。ほんと皆甘い!夫側の親族で子供なのは息子一人だけ(唯一の従兄弟はすでに20代で独立している)ということもあり、何かと甘やかされていて、これはよくないなぁと常々思っている。
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テーマ:海外で育児 - ジャンル:育児
2019.09.17
| こども部屋
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